【本の紹介】伊坂幸太郎が贈る初の絵本『クリスマスを探偵と』あらすじと感想【ネタバレなし】
こんにちは!あきめもです。
「これ、もう読んだ?」と兄から差し出されたのがこの本でした。
兄は私に伊坂幸太郎の作品を布教した人。
私は兄に勧められて伊坂さんの作品を読み、伏線の回収の鮮やかさやどんでん返しに次ぐどんでん返しの快感、さらにキャラクターのシニカルだけど軽快な台詞回しに魅了されどっぷり伊坂ファンになったのです。
そんなわけで兄弟間で伊坂さんの本を貸し合う関係にあるのですが、
表紙を見て、「伊坂さんが絵本??!!」と叫び
中身をちらっとみて「これは絵本じゃない、挿絵が豪華な短編小説じゃん!!」と兄に文句を垂れました。
しかし読み終わった後に思うのです。
私が「こんなの絵本じゃない!」と感じたのも1つの解釈にすぎないな、と。
読み終わった後に知ったのですがこの絵本のあらすじは伊坂さんが大学一年生の時に書いた短編小説がもとになっているんですね。
「アマチュア時代の、しかも生まれて初めて完成させたもの」と伊坂さんがあとがきで記していますが、前述したような伊坂イズムが満載。
そういや、私もサンタさんへのお手紙を書いたなぁと思い出すようなあったかい物語でした。
あらすじ
物語の舞台は、赤い切妻屋根の小さな家が建ち並ぶ、ローテンブルクの町。主人公カールは、夫の浮気や妻の不貞、婚約者の身元、息子の行方などを調査する探偵だ。「幸福」という意味を持つ「グリュック」というレストランの店名に「嫌味な名前だ、と看板を折り曲げたくなった」と描写があるように、少しひねくれ者でどこか冷めたような人物だ。
カールはクリスマスイブの夜に、腹にたっぷりとついた肉を持て余しながらも足早に進んでいく男を尾行し、浮気の調査を行なっている。男が大富豪の投資家の女の家へ入ったことを確かめると、時間つぶしのために公園に立ち寄る。そこには厚い本に読みふける贅肉のない軽やかな体型と思しき男。カールが自分の名前を告げるととても言いにくそうに「サンドラ」と名乗る。
カールとサンドラはクリスマスイブの夜に公園のベンチで語らう。話の流れはクリスマスについてに向かう。カールがクリスマスに嫌な経験があるんだ、と明かすと「よければ僕に話してみてくれませんか。」とサンドラに促され、カールは幼き頃のクリスマスの記憶を話し始める。
画材屋を営んでいる始終不機嫌な父親が、浮気をしていたこと。母は静かに耐えてたこと。家計は厳しく、しかしクリスマスだけは自分の欲しいものがもらえていたこと。15歳までサンタクロースの存在を信じていたこと。そして、サンタクロースが父親ではないと確かめるために、家の経済情況からは買うのが不可能であろう自転車をねだったこと。
結論、15歳のクリスマスにねだった自転車は用意された。しかしサンタクロースが存在する証明はされず、明らかになったのはサンタクロースはやっぱりいないのだ、ということだった。父親と母親の口論から父親が母親の指輪を売ったことが明らかになった。カールは父に嫌気が差すと同じく、自分の幼さを恥じ家を出た。
カールの過去が語られた後、サンドラが「こじつけ、といえのは嫌いですか?」とふと言う。
物事は解釈の仕方によってさまざまな形を見せる。普通に考えればこうだけども、見方を変えると、こういう風にも考えられるよ、という可能性のゲームみたいなもの。サンドラはカールの過去についての解釈をこじつけによって、少し楽な気持ちになる、考え方を提案する。それは、「カールのお父さんが、本当のサンタクロースだと考えたら、どうでしょう」というものだった。物語はこの一言から急展開していく。
カールがクリスマスイブに出会った謎の男、サンドラの正体とは?
感想
読み終えた後、「え、どこから私は思い込みに騙されていた?」とすぐさま読み返した。
伊坂さんのミステリは与えられていく情報をもとに頑張って推理していくんだけど、それを鮮やかに裏切られる、騙される快感がある。
2017年に出た絵本というものを知らずに読んだものだから、新作なのかと思い先日読んだ『フーガとユーガ』に出てきたみたいな痛いシーンやTHEサイコパスが出てきたらどうしよう…殺し屋だ、とかいってナイフでカールが殺されそうになったらどうしよう、と考えてしまった。
でもそれは杞憂に終わった。
読了。
— あきめも (@akkimemo) November 14, 2018
毎回、痛いシーンは内臓がキリキリと絞られるような、はやく安心させてくれ、と思わせる。ほんとに勘弁してくれ。
二度も三度も気持ちよく裏切られるストーリー。極限までハラハラさせられて、ラストのセリフ一行で「やっぱりかぁ」ってホッとさせられる。
面白かった!!!
大人に贈る絵本、とあるように昔からの童話のような世界。だけどセリフはウィットに富んでいて『ある男』に出てくるようなうんちくが楽しい。
伊坂さんの作品を読んだことがある人は、不要にこれ以上ストーリーを明かすと即ネタバレになることがわかると思うのであとは個人のクリスマスと思い込みについての感想を書く。
クリスマスといえば、母が決まって兄と私に便箋を渡し、「いま欲しいものを書いてね、サンタさんに届けておくから」と言った。
母や父がプレゼントを置くところを見たことはなくても、小学校の高学年にはサンタさんは商業的な存在なのだと悟ってたし、フィンランドにいる本物っぽいサンタもひとつの観光資源なのだなと思っていた。
20歳を超えた今となっては、クリスマスにのっかって友人や恋人とお互いのプレゼントを交換し合うひとつのイベントにすぎない。あ、加えてチキンやケーキが食べれるイベントでもある。美味しいよね。
そんな冷めたわたしにも、「もしかしたらまだ世の中にはサンタがいるのかもしれない」というような子供心が滲み出すような物語だった。
サンドラがいう、こじつけ、にハッとさせられた。
この本の表紙と中身をみたときに「こんなの絵本でないー!」と突っぱねそうになったけど絵本はこうあるべき、という解釈が無意識の上にわたしの中で出来上がっていたのだと気付かされた。
この物語はカールの主観で語られていく。
わたしの生活もわたしの主観でしか見れない。
いかに客観的に見ようとしても主観というものからは逃げられない。どうしてもフィルターがかかってしまう。
わたしが世界を切り取って理解するとき、なにかしらの解釈をして意味付けしていることに気づいた。
さらに、いちど解釈してしまったものごとでも、見方を変えれる、つまり可能性のゲームができるのだ、と知った。
多角的に考えよう、とかいうが、可能性のゲームと捉えるとさらに愉快に楽しくなる。
かつて子どもだった大人へのプレゼントにも、はじめての小説を読むこどもにも読んで欲しい本だった。
物語を彩るのはフランスのバンドデシネ作家であるマヌエーレ・フィオール。
見開きいっぱいの、落ち着いたトーンで描かれる絵は、静かなんだけど動き出しそうな、暗いんだけど光が漏れ出すような雰囲気を醸し出す。
このかたの個展があったら言ってみたいな…
大きなキャンバスで描かれたものをじっくり眺めていたいような絵でした。
伊坂幸太郎が贈る聖夜の奇跡の物語が発売。感想を送るとイブにプレゼントが届く豪華キャンペーンも開催|河出書房新社のプレスリリース
大人になってから絵本というものをぱっきり読まなくなりました。
ひさびさに読んだら文庫や新書にはない紙のあつみ、めくる楽しさ、絵の贅沢さを思い出しました。