あきめもログ

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身長147センチ・一重でスタイル良くなくても垢抜けたい!可愛くなりたい!そんな思いで美容、ダイエット、おしゃれを模索。実験して効果あったものをシェアしてます。

【本の紹介】『いたいのいたいの、とんでゆけ』三秋縋【書評】

 

 

「お金を払ってまで怖い体験なんかしたくない」

恐怖を楽しむアトラクションがオープンするという、日本を代表するテーマパークのCMをみながら母が言うのを聞いたのを読み終わってからふと思い出しました。

 

『いたいのいたいの、とんでゆけ』は、そんな母は絶対読まない小説だろうなと思いました。この世の陽ではなく隠、安全ではなく危険、平和ではなく戦争。つまり光ではなく影の中で生きる人々の姿を描いていく。

 

 

お金を払ってエンターテイメントを楽しむのなら、現実から離れた楽しい世界、キラキラした世界を楽しみたい。

 

母も言うように、わたしも物語も含めて、ハッピーエンドで起こるものが好きだし、人を傷つけたり傷つけあったりする物語は苦手です。

 

著者の三秋縋(みあき すがる)さんはあとがきで楽しい世界、キラキラした世界を「あらゆる落とし穴に蓋を被せた安全な世界」と表現しています。また〈滅菌された物語〉とも。人生には小さな落とし穴や大きな落とし穴がたくさんあります。失敗、失恋、絶望、暴力、誰かの死、裏切り、悪意…など。

 

この小説は、そんな〈落とし穴の中に蓋がされている物語〉でなく、〈二度と抜け出せない落とし穴に落ちてしまった人の物語〉です。

 

先輩から借りて読んだ本のあらすじと感想を伝えたいと思います。

 

あらすじ

主人公の僕、湯上瑞穂(ゆがみみずほ)は22歳の秋、15の女の子を轢き殺す。

 

孤独な学生生活を送っていた湯上は、転出前の小学校での同級生で文通相手であった日隅霧子(ひずみきりこ)との関係も、唯一の友人であり心の支えであった進藤との関係もある理由で途切れてしまう。

 

何もかもに見捨てられて一人きりになった湯上は酒を煽って車に乗り込み、一瞬の睡魔に負けた束の間に、殺人犯になる…はずだった。

 

湯上に殺された彼女は、死の瞬間を"先送り"にすることで10日間の猶予を得た。彼女は自分の身に起きたことを〈なかったこと〉にできる。厳密にいうと、起きて欲しくなかった出来事を〈先送り〉することができ、その猶予は彼女の望みの強さによって保留していられる期間が決められる。

 

彼女は先送りにした10日後までの期間を、自分の人生を台無しにした連中への復讐に捧げる決意をする。

 

先送りにしたとしても湯上が殺人をしたという事実は変わらない。湯上は彼女への点数稼ぎのために復讐に協力することに。

 

復讐を重ねていく中で、2人の出会いの裏に隠された真実が明らかになっていく。

 

彼女が復讐にもえる理由はなになのか

文通相手霧子との真実とは

 

 

 

 

 

感想

落とし穴にはまって抜け出せなくなった人の物語、というのが一番しっくりくる、というかほかの表現が見当たらないなぁと読み終えた後思った。

 

スタート時点で僕、湯上は殺人犯だし、2人がともにすごすなかで、恋に落ちたとしても彼女が死ぬ運命は変わらない。

 

この物語は落とし穴の中身を淡々と見せてくる。でもだからといって「同情してくださいね」「こんな人もいるんですよ、もっと人に優しくしましょう」という道徳的なメッセージではなくまるで展示会のような軽さを感じた。

 

命は重くて貴重なもの、人の死は滅多に起こらない重大なことのような固定概念の逆を伝えてくる。

物語の中で人の死についての描写が何度か出てくる。少女の武器である鋏で、彼女の人生を台無しにした人々は次々と殺されていく。

 

殺人シーンは「痛いな〜」と思うような描写だが、湯上の感想はとことん冷静だ。

 

「時として命は、風に攫われるような容易さで失われる」

「人の死は、臭う」

 

など、怒りも疑問も止めもせず、「そんなもんか」と受け入れる様が逆に怖かった。

最後の方には「復讐する姿が美しい」と彼女に復讐を促す始末。

 

彼女の人生もどこにも救いがないような、ひたすらに真っ暗な臭い用水路のなかを傷を作りながら、なにかの感染に怯えながら意味もなく進むような人生。

 

どれだけ復讐のために生きてきたといっても、殺した後の彼女の反応は吐き気を催し、腰を抜かすなど正常と思われるものだった。

 

殺しは仕事、殺しは正義だ、と本気で思ってるような殺し屋ではなく、真っ当な感覚をもつ少女の復讐のゴールとはなにかに興味を向けさせ続ける。

 

ここまで死の恐怖や殺人がたくさん出てくる小説を読み終わったあとに、「身近な人を大切にしよう」といった反面教師的な感想が出てこないのも新鮮だ。

 

「……どこに飛んでいくんでしょうね、わたしの痛みは?」

「君に優しくしなかった、すべての人々のところへ」

この二言に物語の本質が現れているように感じた。

 

あくまで、世の中にはこんな落とし穴があって、落とし穴の中でも懸命に生きている人がいるんです、という風景を眺めていたようなそんな感覚。

彼と彼女以外の人たちは物語を進めていく上での要素に過ぎない。彼女の痛みの清算に焦点が当てられる。

 

でも、いまはそんな読み方をしたのだけど、生理前とかの鬱々とした気持ちの時に読んだら主人公たちが眺める世界と私が眺める世界が一致して、また違う感想になるんだろうな。

 

読む人の心の状態と世界の捉え方によって、物語を読み手がひたすら観察するものか、物語が読み手に寄り添ってくれるものかに分かれる、そんな小説でした。